自己紹介

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頑固ちゃんってどんな人?

頑固ちゃん
初めまして!頑固ちゃんと申します

北陸在住。現在は無職で療養中です。

  • 1991年生まれ
  • 血液型A型
  • 趣味は写真・歌・楽器
  • 性格は頑固・責任感が強い
  • 2019年春、パニック障害・不安障害発症

パニック障害発症までの経緯

伝染性単核球症を発症

2019年春のとある日、体に異変を感じる。

頑固ちゃん
なんだか怠いけど、寝れば治るか!と思っていました

翌日、高熱が出たのでかかりつけの病院で診察を受ける。インフルエンザのような症状があったため一応検査するも陰性。

「疲れが出たのでしょう」と医者に言われ、そのまま帰される。

さらに翌日、高熱が下がらないため、再度インフルエンザの検査をするも再び陰性。

そこから別の大きな病院へ行くも、喉をちらっと見られ、抗生物質をサクッと出され診察終了。

あまりに雑な診察で不安だったため、さらに別の病院へ行き血液検査を受けた結果、EBウイルスによる伝染性単核球症と判明。

ウイルス感染してから4週間以上の潜伏期間を経てから症状が現れる。1~2歳の乳幼児が発症しても微熱や扁桃腺の腫れなど症状は軽いが、学童期以降に発症すると重症化しやすい。主な症状は高熱や全身の倦怠感・疲労感、喉の腫れ・痛み、全身のリンパ節の腫れと肥大、発疹など。発熱や喉の痛みなどの症状は1~2週間続き、倦怠感は数週間から数ヵ月にわたって長期間続くケースも。肝臓や脾臓が肥大化しやすくなり、悪化すると破裂することがあるので注意が必要。また、重症化すると気道閉塞や球肺炎、リンパ腫、貪食症候群、無菌性髄膜炎、ギランバレー症候群、心筋炎などさまざまな合併症を併発することがある。

ドクターズ・ファイルより引用

頑固ちゃん
私の場合1ヶ月高熱が続き、1週間入院もしました

そして、発症から約1ヶ月後、再び血液検査を受け伝染性単核球症は完治との診断を受ける。

パニック障害発症

伝染性単核球症は治った。

が、体がなんだかおかしい。

人に会う前や会話中、運転中なぜかとっても息苦しい。

どこの病院へ行っても、何科にかかっても、病名がつかない謎の不調。言うことを聞かない体に苛立ち、暴れる。

そんな時、自分でネットで検索して見つけたのがパニック障害でした。

闘病生活のはじまり

初めての精神科

パニック障害だとわかってから、それを受け入れるまではとても時間がかかりました。

頑固ちゃん
自分がまさか精神病になるなんて・・・

実の母、そして精神科に勤める母を持つ友人のすすめから、精神科に行くことを決意。

母に付き添ってもらい、受診。

精神科は怖い・薬は悪というイメージからできれば薬は飲みたくありませんと伝えました。

そのことが悪夢の始まりになるとも知らずに・・・

悪化していく体調

それからは月に一度の通院を続け、頓服薬のワイパックスのみもらっていました。

今思うと当たり前なのですが、一向に体調がよくなりません。

合わせて『耳管開放症』という病も発症。

そしてパニック障害発症から約5ヶ月後の秋、大好きだった仕事を辞めざるを得なくなりました。

頑固ちゃん
ゲストハウスでマネージャー職に就いていました

忘れもしない9月末、突然目の不調が始まりました。

スマホやPC、TVの画面を見ると目が痛くなり開けていられないと言う状態。

また不安感もどんどん強くなって行き、自分で運転ができなくなりました。

それでも薬に対しては懐疑的であったため新しい薬は追加せず、頓服薬のワイパックスを毎日飲むようになりました。

西洋医学ではなく東洋医学に傾倒していたため、整体や鍼灸、漢方に頼って色々なところに行きました。

ついに家から出られなくなる

12月、ほんの一時期体調が上向きましたが、年が明け2020年。

年始から体調が再び悪化。強まる不安感。目や耳の不調。そして1月末からめまいが始まりました。

このめまいをきっかけに体調がみるみるうちに悪化。

日常生活がままならず、ストレスもどんどん積み重なって行き、ついに家から一歩も出られなくなりました。

壮絶な日々

視覚過敏・聴覚過敏が酷くなる

パニックを発症してから視覚過敏・聴覚過敏になっていましたが、この頃それがとてつもなく悪化しました。

  • 人の声全てが怖い
  • 物音全てが怖い
  • 柄物を見ると目が痛くなる(ストライプ・ロゴなど全て)
  • 動くものを見ると目が痛くなる
  • 太陽の光・電気の光など全て見られなくなる
  • スマホやPC、TVは触れるだけでも怖い

家に人が訪ねてきた「こんにちはー」という声が聞こえただけで怖くて号泣。

家族が生活する際に発生する音全てが怖いので、母以外の家族とは家庭内別居状態で過ごしていました。

また、柄のついたタオルが使えなくなったり、母が柄物の服を着ていると直視できないので着替えてもらったりしていました。

動くものが見られないので、ドアの開閉時やコップで水を飲んだりする時、目をつぶらないとできなくなりました。

光全てが無理になったので、カーテンを閉め切った暗い部屋で過ごし、電球には戦時中のように布を被せていました。そのせいで幽霊が見えるようになりました。

スマホは元々あまり触れなくなってしまっていましたが更に悪化し、持つことも怖くなりました。

情報一切を頭が受け付けなくなり、スマホに届いた連絡はおろか、テレビを見たり音楽を聴いたりすることもできなくなりました。

目を開けてご飯を食べることも難しくなったのと、自分の咀嚼音すら怖くなったので、食事中はずっと目をつむりながら必死に耐えていました。食事を3食ちゃんと食べていても、ストレスからかどんどん痩せ細っていきました。

お風呂はもちろん入れないので、足湯のみ。ずっと洗髪できなかったので気持ち悪いほどフケが溜まりました。

このように、視覚過敏・聴覚過敏が酷くなったせいで、生活全てが困難になりました。

母と死ぬことを決意

そんな日々が何ヶ月も続き、生きていることが本当に辛くなってしまいました。

読んでいただけるとわかると思いますが、明らかに生きているより死んだほうが心身ともに楽になれるという状態。

そもそも生きた心地なんてありませんでした。

頑固ちゃん
母と一緒に死ぬ日や方法、場所まで話していました

毎日体が辛くて泣き叫ぶ。母に助けてと懇願するも母にも打つ手がなく、母娘共に疲弊していきました。

薬の力を借りて生還

ワイパックス増量

最後の頼みの綱として、精神科の先生にありのままの状況を伝えました。もちろん私は家から出られないので、母が代わりに受診。1日1錠飲んでいたワイパックスを朝昼晩飲むようにとの指示。

薬嫌いでここまで増やしてこなかった私も、この頃には「どうせこのままでも死ぬんだから、とりあえずやってみよう」という気持ちになっていました。

ワイパックスを初めて増量した日、目を開けてリラックスしながら夕食を食べられたのをはっきりと覚えています。

久しぶりにご飯を普通に食べることができ、号泣してしまいました。

新しい薬を追加

それでもまだ辛い日々が続いていたので、先生と相談して新しい薬を飲むことになりました。

エビリファイのおかげであんなに辛かった視覚過敏・聴覚過敏が和らぎ、ジプレキサのおかげで眠りの質が上がり、食欲が湧いてきました。

それでもまだ体調が上がりきらなかったので、SSRIであるレクサプロを服用することになりました。

このレクサプロはさすがSSRI、おかげさまで体調がどんどん回復していきました。

現在の体調・まとめ

現在は、家の外にも出られていますし、人と会話したり、カフェなどにも行けるようになりました。

まだ不安感などには悩まされていますが、だいぶ落ち着いてきました。

もちろんスマホやPCも触れるようになりましたので、今こうしてブログが書けています。

私のこのような経験から得た様々な知識を発信し、1人でも多くの人に助かって欲しいと思っています。

頑固ちゃん
これからよろしくお願いします!

気になる記事がありましたら、ぜひ読んでいっていただけると嬉しいです。

以上私の自己紹介でした!

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  • この記事を書いた人

頑固ちゃん

アラサー独身!持ち前の頑固さが祟って、2019年春にパニック障害発症。西洋の薬嫌いで東洋医学に偏っていたら悪化し、家から出られなくなりました。そんな私から一言「みんなそれいけ!セイシンカ」推しはレクサプロ。今は寛解に近い状態。あなたもきっと良くなる!私の体験を記事にしています。HSP中度。

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